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東京工場へのアクセス方法と感染症対策
最寄り駅は日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅
から徒歩15分です。
ですが猛暑のため来社の際はなるべく
涼しい時間に調整していただいたり
バスの利用や駐車1台スペースがあるので、
そちらを推奨します。
会社概要にも掲載しておりますが、
以下にもまとめます。
■西新井駅から ・国際興業バス【赤27】
環七経由赤羽駅東口行き乗車・椿二丁目下車
■赤羽駅東口から ・国際興業バス【赤26】
環七経由舎人団地行き乗車・椿二丁目下車
■赤羽駅東口から ・国際興業バス【赤27】
環七経由西新井駅行き乗車・椿二丁目下車
■西新井大師前から・都バス【王49】
王子駅前行き乗車・椿二丁目下車
■王子駅前から ・都バス【王49】
千住車庫前行き乗車・椿二丁目下車
ほかにも本数は少ないですが
■北千住駅から コミュニティバス
鹿浜三丁目交差点下車
または西新井駅、赤羽駅、王子駅からタクシー
※日暮里舎人ライナー沿線は
タクシー乗り場がほぼない。
熱中症にはくれぐれもお気を付けください。
もう一つ気を付けなければならない感染症対策
弊社ではスタッフすべてマスク着用
密になりやすい縫製場では換気扇4台完備
朝礼を週初めの1回と業務連絡のみに大幅短縮
入口でのアルコール消毒
社員にワクチン推奨、変動出勤容認
高齢のパートさんの内職推奨
基本的には黙々と作業することが多い仕事で
通勤に関しても元々
東京工場は近隣のスタッフのみ
千葉工場は寮と車通勤のみ
飛沫感染、接触リスクは低く抑えられています。
昨年の布マスク・防護服生産時に
構築してきたルールをスタッフのおかげで
継続して保たれています。
海外や地方にいくことが困難になるなか
都内の工場ということで、
例年の倍以上お問い合わせいただくようになりました。
大変失礼ですがお断りするケースもでてきてしまいます。
何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます。
マーヤ縫製工場 菅谷 正
アパレル工業新聞に掲載されました。

以下アパレル工業新聞記事一部抜粋
”東京・足立区椿にあるマーヤは、
高い技術力と丁寧なモノ作りで高級婦人服を
生産しています。
取引先ともすぐに行き来できる立地を生かし、
アパレルのアトリエ的な存在
としてデザイナーやパタンナーとも
強い信頼関係を築いてきました。
東京の本社と千葉県香取市にある工場は
それぞれ十三人で、
両工場とも裁断からの一貫体制を整え、
十二社にのぼる取引先に向けて薄物から厚物まで
幅広いアイテムをこなしています。
三代目として頑張っている長男の正専務が
ホームページを使って発信し、
コロナ禍にもかかわらず新規の取引先も
生まれてきたそうです。
「縫製現場はほとんどJUKIのミシン」と話す菅谷
智社長にモノ作りへの取り組みや今後について
お聞きしました。
~
ーコロナ禍が続いていますが、現状はいかがですか?
昨年五月から今年一月いっぱいまで
医療用ガウンを手掛けました。
月に八千枚~一万枚でしたが、
やったのは東京の工場だけです。
取引先のアパレルさんからの仕事も
切れずにありましたので、
絶対に迷惑をかけないように千葉の工場は
一切やりませんでした。
~
当社の特徴をよく聞かれますが、
当たり前の機械を揃え、
すごく細かいところに気を使っているだけなんです。
だから本当にき真面目に服作りをしています。
何か手を抜こうとかは考えず、
相手先のこだわっているところに時間を掛けて
モノ作りして、その時間が掛かった分の
加工賃を提示するようにしています。
~
ーデザイナーの方と話し合いながらモノ
作りするケースもあるとか。
都内工場の強みの一つですが、
日々サンブルや納品に伺ったときに
アパレルさんの意見を聞く機会がありました。
ある著名なデザイナーさんはご自身が
直接訪ねて来られ、仕事を依頼されました。
現場も熱心に見学され、
メローロックのミシンを見て、
裏地の縫い代の始末をメローロックで糸の色を
変えて配色する仕様を採用されました。
見えない部分ですが、ちらっと見えたときに
そこをきれいに見せたいという
こだわりなんでしょうね。
今でも月一回くらい来社されます。
~
ー設備面では。
JUKIさんのミシンが九割で、
昨年新規に入れたのが
高速電子眠り穴かがりソーイングシステム
『LBH-1790AN』です。
縫い形状で放射型の眠り穴かがりがあり、
取引先アパレルさんからヨーロッパの
高級ブランドの眠り穴はこの放射型だと指摘され、
すでに採用していた工場の評価も高かったこと
から導入したんです。今は依頼されなくても
すべての商品に放射型を採用し喜ばれています。
また、デジタルでメスの幅を変えることができるし、
メスが落ちるところを正確にできるので
切り落とした後のボソが発生しません。
以前のミシンはボソをハサミで
切る必要があったんですが、それがなくなり
時間定縮にもつながっています。
ー今後の方向については。
現状は本当に厳しい状態ですが、
コロナが終息するまで何とか踏ん張ろう、
頑張ろうと、社員にいつも朝礼で話しています。
私は学生の頃からバイトで裁断や営業をやり、
三十六歳で跡を継いで社長になりましたので、
もう二十年過ぎました。
都内の縫製工場で
後継者いるところは少ないと聞いています。
幸い長男が戻ってきてくれたので、
早く三代目主導で
動く会社にしたいと考えています。
後継者がいることで新入社員も採りやすくなったし、
新たに入社した人たちが班長クラスに育ち、
三代目と一緒に会社を残していってほしいと
期待しています。”
創業者 菅谷 重
訃報 創業者 菅谷 重
2021.05.09 満85歳、老衰にて永眠しました。
本日、一日葬で行いますが
緊急事態宣言中、感染防止のため、皆様の安全と健康第一と考え
ご報告を創業者と二代目の繋がりある
一部の方のみに限定させていただきました。
3世代に渡りマーヤや私たち家族を支えてくださる方たちに
ご報告が遅れ、あとで知ったという方に申し訳ないです。
お気持ちだけうけとることになることを、何卒ご容赦願います。
生前大変お世話になった方々に、
創業者・祖父・菅谷重にかわって
厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
株式会社マーヤ 専務取締役 菅谷 正
ものづくりマイスター制度

ものづくりマイスターの補助員として
服飾学科のある高校に今月から6月まで
全10回の授業でジャケットとスカートを作るお手伝いをしています。
弊社も活用しております。
Az Lb MM 37-1 マーヤ様 生産性向上Rpt.pdf (0.63MB)
教えるのに自分の勉強不足を反省したり
逆に教えてもらっていたりと
改めて教育って贅沢なことだなと思います。
ただそこへの投資や
自ら学ぼうとする意志は必要不可欠です。
先生方ともお話させていただいて
暮らしが便利になるごとに若い世代に
日常からモノづくり消え、馴染みのないものになっていき
技術のレベルや喜びも薄れてしまっているように感じました。
僕の世代でギリギリ祖母がミシンとアイロンをもっていたのかな。
とはいえ僕自身も裁断は得意ですが、縫製は
あまり積極的にやってこなかったので、
また初心に帰る気持ちで勉強します。
生徒さんたちは休み時間返上で、
夜遅くまで居残りしてモノづくりに取り組む姿勢をみて
甘ったれてた気持ちが吹っ飛びました。
マーヤとして一年以上在庫してあるボタンや生地の一部は
学生さんたちの練習用教材として寄付しました。
こういった活動をもっと業界全体でやっていってほしい。
マーヤ縫製工場 菅谷 正