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誰にとって優しい人なのか。

僕は元アパレル販売員です。

今作っているものとは真逆なファストファッションの

低価格路線を突っ走っていました。

問題になると嫌なので企業名は出しません。

3年間勤務して26の時に辞めたから、もう昔の話として

 

ちょろっと書いておきます。

ショップ販売員として

新潟、神奈川湘南、大阪梅田、茨城土浦

転勤が多く、東西南北の店舗を見れたことは当時

ムカついていましたが今思えば幸運でした。

正確にはセレクトショップでしたが

いつしかセレクトした売れている商品をコピーして

PBブランドとして売るようになったので、

ファストファッション路線を突き進んだという成り行きです。

たぶん5年前がファストファッションのピークで、

洋服は大量につくれば作るほどコストが下がるので

新規出店を増やし続け、すぐにオーバーストア状態に

バブルがはじけるのも時間の問題でした。

安売りに走るのは工夫がいらず簡単で

一度下がると上げることが困難です。

ブランドイメージとしてもブランド?になります。

プロパーでも売れなくなると、セール、タイムセール

ワゴンセール、焼却といった流れを見てきました。

安さ、コスト競争になった反動はどこにいくかというと

例えば産地 中国製→ミャンマー製、バングラデシュ製に

同じ形の商品でも加工にかかる人件費を低くすればコストが下がります。

従業員の給料を下げる(上げない)使い捨てで、若い人を多く採用

数年後辞めるサイクルを繰り返すことで現状維持する。

サービス残業を増やす。いつしか疲弊して人が集まらなくなれば

デフレスパイラル。。。。

前職の会社はなんだかんだ好きでしたが、今はどうなっているか。。

知りあいも全員辞めているので、わからずじまい。

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そして今回は自分で販売を久しぶりにやってみて

マスクを通じて勉強になったことが多かったです。

ステップ1

3月は品不足、買い占め、震災の時を思い出しました。

困っている人が多く老人ホームからの問い合わせをうけ

すぐに寄付しました。

ピンチの時に人を助けることは、お金以上の価値があると思います。

最初は自分で一生懸命作ったマスクを社長たちに笑われムカつきましたが

妹の後押しと、嬉しい御礼の手紙もいただき

みんなでマスクを作るようになりました。

 

ステップ2

次第にマスクは市場に流通し

お金もあり、マスクを持っている人への寄付は

は?ですし、自分達の技術の安売りはマーヤの看板を落とすことで

自分や従業員も疲弊していきます。

 

ただ普通に売っても埋もれてしまうし、洋服の仕事が本業

価格の付け方が会社としても、わかっていない。

ノベルティグッズとして最低ラインをクリアしていればいいかと

あだち産マスクを販売しました。

 

ステップ3

メディアにも取り上げていただき

友だちとSNSや地元の方にも購入いただきました。

 

小学校に寄付しようとか声がありましたが、もう今さら。。

マスクは無料で貰えるものとしての認識は教育にも悪い。

 

善意の押し付けで、自己満足はカッコ悪いので、やめさせました。

そしてガチャポンを買う。また笑われました。

 

スッテプ4

適正価格でブランディングする。

一旦売り切って、もうユニクロさんも参入してきますし

完全に過剰供給気味になるのは嫌なので、新しく企画するか

 

過去の成功体験として、一旦置いておいて

もう次のステップにいきたいなというところ。。

今ふわーと考えているのはお花屋さんの包装用

不織布をつかった医療用ガウンを

一般向けにセット販売や、あと友達に頼まれているのはマイクカバー

マスク入れもいいかも

現場仕事だけが仕事ではない。

ただいい物を作れば誰かがいつか評価してくれて、、、

それが10年後?30年後?いつ?なくなるぞ。

今はピンチだけど

多くの方に自分達を認知してもらえるチャンスでもあり

おもしろい、ストーリーのあるものを発信して

ものづくりにも生かしていきれば、縫製業界も

まだまだ伸びしろのある業界だと思う。

だっと服以外のものを作ってなかったし

販売もやったことなかったし

取引先もアパレルブランドさんだけだったし

既存の枠に収まらず、枠からでると笑われたり

転んだり、足を引っ張られたりもしますが

視野を大きく刮目して大局をみていきましょう。

 

マーヤ縫製工場 菅谷 正

 

 

 

 

 

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