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メリークリスマス

http://adachi-brand.jp/interview-company/marya

以下足立ブランドHPより掲載記事抜粋

▶まず御社業務について教えてください

社長:直接のお客様は婦人服のアパレルやメーカーです。お客様から材料をお預かりし、裁断し、縫製して納品するという仕事です。また、現在は自社ブランド「マーヤ」の製造も行っており、工場直結ファッションブランド「ファクトリエ」さんのECサイトで販売しています。

▶顧客には有名なブランドが多く含まれているようですね。でもここに至るまでにはいろいろと大変なこともあったのではないでしょうか

社長:弊社は、1959年に父が設立しました。当時は「スガヤ洋裁所」という社名で、以後アパレル1社の仕事だけを何十年もずっと受けていました。それが変わったのは、その会社が倒産してからです。昭和60年(1985年)ごろのことです。

▶いきなり仕事がなくなったわけですね。当時社長はどんな立場だったんですか?

社長:当時はまだ大学生でした。夜学で、日中は午後4時までこの会社でアルバイトとして働いていました。この会社を継ぐという気はあまりなかったんですが、周りの社員の人から「継がないの?」なんて聞かれることもあったりしました。また、仕事をやるうち、自分が意外にも器用であることに気づき、細かい仕事が好きだったこともあって、「これはこれでいいかもしれない」と思い始めたころでした。以後は、親会社倒産のショックからどう立て直そうか必死になりましたね。

▶具体的にどんな形で立て直そうとしたんですか?

社長:できるだけお客さんを増やそうと努力しました。実は、親会社倒産以前から1社がこけてもぐらつかないように、不定期的にちょこちょことよその仕事もやっていたので、0からの出発ではなかったんです。都心に近いので、できるだけお客さんに顔を出し、たとえばサンプルを持っていったり、先方の要望を直に聞いて持ち帰ったりという細かいところを地道にやった。できるだけ信用を取って、一回始まったらスポットで終わらないように長く続けるというスタンスでやっていきました。そのおかげで、3社になり、5社になり、10社になり、今は11社くらいになったんです。苦しかったですね。今工場長がやっている苦労の3倍4倍はあったかな。

▶その後のバブル崩壊の影響も大きかったのではないですか?

社長:大きかったですね。とくにアパレルはどんどん潰れました。そのせいで仕事は半分に減りました。仕事を増やそうとしたけど、工賃が安く、数をやっても売上が落ちるといった具合で悪循環でした。当時、国が中小企業対策の緊急助成金を実施しました。無担保で5千万円まで借りられ、5年で返却するというもので、うちも借りましたが、これを返せなくて廃業した同業者がかなりいました。
そのあと、バブル崩壊の影響から回復しかかっていた時期に来たのが、中国など海外製品やファストファッションなどの台頭です。この影響で国内のアパレルが軒並み安いものを作ろうとし始め、工賃がさらに安くなったんです。「これはもうだめだ。高いものをやるしかない」ということになり、それまでは中級の百貨店ブランドの数が多かったんですが、以後はセレクトショップや自社ショップが銀座にあるような高級ブランドを顧客のターゲットにしたんです。

▶より高級なものとなると、要求される技術もより厳しくなるのでは?

社長:高級品になると、デリケートな生地が使われることが多いんです。これを縫製するためには、ミシンのスピードを落とし、ていねいにやる必要がある。いつものペースでやるとどうしても縫いずれやピリつき(縫い目周辺に出る細い波状のしわ)などが起こりやすい。その感覚、くせをつけるまで、縫ってはほどいてを繰り返すんです。うちの売上げは社内では全部オープンにしているので、「このブランドの仕事がやれればひとりあたりの工賃がこれだけ上がる」ということをみんなに伝え、みんなでがんばりました。このブランドだったらできる。それができるようになったら、ちょっと上のブランドを目指すという形で階段を昇るように少しずつステップアップし、今は目指していたところまで来ました。

▶経営的な苦境を技術力の向上によって乗り切った、まさにものづくりとしてあるべき姿だといえますね

社長:生き残るために、やむにやまれずやってきた結果です。でも、不良とも言えないような部分を指摘され、収めた製品が全部不良扱いになって、直しとなることもいまだにあります。思うところはありますが、そこはもう勉強だと思うほかはない。こういった経験を積み上げ、みんなで次に向かっていくしかないですね。

▶ところで、工場長はどんな経緯で入社されたんですか?

工場長:もともとファッションなどに興味はなく、親の会社に入ろうなどとは全く考えていなかったんです。大学では生命科学を専攻し、就活でも当初は食品や医療関連企業を狙っていたんですが、ふとしたはずみからファストファッション系のアパレルに入社しました。店舗で販売を経験したのですが、安い服は値段をさらに落として最終的にはワゴンに入れられたり、ダンボールの中で服が雑に扱われたりするのを見て、「一生懸命作られた服がこんなになっちゃうのか」と心が傷みました。店舗から日本製の商品が完全になくなり、中国製やミャンマー製が出てきたりするのを見て、残念に思うようになったんです。
一方、父の仕事を傍目で「大変そうだな」と思っていましたが、でもよく見ると粗雑に扱われない服を父は作っていた。このままでは父の仕事がなくなってしまう、自分にできることはないかと考え、3年で退職しこの会社に入社したんです。
社長:この仕事は、大変なことの多い商売だと思っているので、親としては自分の好きな道に進んでくれればいいと考えていたんですけどね。

▶入社にはいろんな想いがあったんですね。ところで、自社製品の展開については工場長が主導的に行っているようですね

工場長:うちは、細メロウなど技術力が強みです。でも下請け仕事ばかりではその強みが見えづらい。そこで、自社の強みを生かした自社製品を開発し、昨年の7月からファクトリエを通じて販売を始めました。

▶立ち上げてからまだ1年ですが、どうですか?

工場長:形をできるだけシンプルにし、細メロウをふんだんに入れ、飽きのこない長く売れるものにしたんですが、売上げとしてはまだまだといったところです。ただ、今回やってみて製品づくりの体制に関わる課題が明らかになったので、次からはその点も踏まえ、より多くの方に着ていただけるものを作りたいと考えています。こうしたことを繰り返しやることによって、着実に売れるような形にしていきたいですね。またいずれは自分たちで販売できるようになれればと思います。

 

▶今後会社としてどうしていきたいとお考えですか?

工場長:うちの強みは技術力なんですが、技術についてもっと知ってもらわないと正当に評価してもらえないと思っています。縫製教室でもいいし、これだけ時間をかけて商品が作られているという動画でもいい。技術を可視化し、もっと広げていきたいと考えています。
社 長:縫製工場として技術を磨き、より付加価値の高いものが作れる会社にしていきたい。ゆくゆくはうちで作った商品にプレミアが付くといったところまで目標にしてやっていきたいですね。

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菅谷智社長は、1964年生まれ。大学時代は夜学に通いながら同社でアルバイトした。1987年に同社に入社。2000年に社長就任。高校時代からバレーボールに親しみ、後に高校時代の部活OBで結成したチームで足立区内で優勝という輝かしい経歴を持つ。
菅谷正工場長は、1989年生まれ。大学卒業後、ファストファッション系アパレル企業に入社。3年後に同社入社。高校時代は陸上部に所属し、インターハイのリレーで全国大会出場。父親同様優れたアスリートとしての側面を有する。

 

なぜか忙しい時ほどチャンスがくる。

ラーメン屋で行列が行列を呼ぶように

バタバタ現場がしている中

チャンスがやってくるパターンが多いです。

暇になってやっぱり欲しいと思っても

チャンスが2度、3度訪れることはそうありません。

普段営業時間は現場で裁断をして

仕事終わりにブログだったり、SNS

勉強会、企画だったり

変化を起こすには体力消耗戦になります。

が、今やっておけば

将来の自分が楽になる。他の人が楽になる。

「働くとは他を楽にすること」と

前職の社長がよく言ってましたが、

最近前職の社長の言葉シリーズが身に染みて

きました。「21世紀は人柄の時代になる」とか

「忙しいという漢字は心を亡くすと書く」とか

ふとした時によく思い出します。

 

今年4月から隔週金曜日新製品開発講座を

17時半~21時まで受けていて

先週発表会がありました。優秀賞を

いただきましたが、まだまだで

僕がやれたのは、埼玉県八潮市にある

相澤染工所さんに行って藍染したり、

千葉県市川市に行って金子さんに

パターンをお願いしたり、

途中でボーリング大会の幹事やら

いろいろやり過ぎて、仕事も慌ただしく

中途半端になってしまいました。

雑記

まだ継続して来年こそは自分のやりたいことを

形にできればと思います。

 

僕の立場ではいくら綺麗に裁断しても

当たり前で、縫製場から間違えを指摘されたり

縫製の責任も担っているので先方からもダブルパンチで

たまに心の亡い言葉を浴びせられることもあります。

品質基準が高いので、減点方式になってしまいますが

マーヤスタッフはとても優秀だと思いますし

だからこそ僕はこうして発信や現場外でいろいろ動けます。

あいつ本業以外で余計なことばっかりしているからミスするんだ

という意見もあると思います。

 

言い訳がましいですが

全部ひっくるめて、笑われてもバカでいいので

チャンスをつかませてください。

 https://loftwork.com/jp/project/goodsurvive2019

前置きが長くなりましたが、これに応募しました!

ゴリゴリの繁忙期真っ盛りの中でやるので

ご協力よろしくお願いいたします!

まだ選考通るかわかりませんが

トークイベントや展示会出展、工場ツアーなど

話題が目白押しになるので

ご期待ください。

 

マーヤ縫製工場 菅谷 正

今年の工場サミットは若手が主役でした!

毎年年末の開催なので、

全国工場忘年会的な立ち位置の

工場サミットについて

Instagram-image

地方の工場で単身働く僕と同世代の若手に

登壇して話すことがメインで

今までで一番良かったという感想が多かったです。

タイトル画像にあるように、

かなり厳しい状況にあるものづくり現場で

若い人が新しい取り組み、アプローチをすること

とても参考になり刺激になりました。

まず若い人に任せる社長の器もそうですが、

みなさん僕と同世代で同業者は個性的で

たぶん変人扱いされる人が多い印象です。

(僕も含めて)いい意味でね。

僕らの世代を第3世代

父の世代を第2世代

祖父を第1世代として

1、2と同じことをコピペしてやるのが普通

それをそれると

異端児扱いで馬鹿者、よそ者で煙たくされがちです。

人数は上の世代に比べ少ないですが

僕ら一人一人の行動がアパレル業界が日本からなくなるか

発展するか、このまま高齢化で廃業、後継者不足で

もう後がない瀬戸際にきていると思います。

海外への展開や動体パターンの研究

産地が一体となった展示会や勉強会

全国各地で試行錯誤しながら、頑張る同世代に

僕もまだまだだったなと反省しました。

ただ本当に凄い人たちばかりではなく

やめていった同世代も多くいます。

理由はたぶん心の問題とか

収入面が大きいかもしれません。

 

公の場ではいえない話ですが、

現実問題、交流のある学校の先生に聞くと

感覚的に地方に単身就職する学生の

9割ぐらいすぐ辞めている印象だそうです。

上澄みだけでなく

学生さんは知っておいた方がいいから

ちょっと僕の体験談を書きます。

 

前職アパレル販売スタッフ時代

はじめての勤務先は新潟でした。

誰も知り合いもいない、

見ず知らずの都会ではない土地

やることもなく。

職場と家の往復、、

心が病みます笑

僕がやったオススメ対策は

まずネックウォーマーとかで首を温める

理由は脳みそにいく血流があーだこーだーで

ネガティブにならないように

部屋を明るくするのもネガティブ対策に効果的

あとは行きつけの店を見つけて、同じ物を

いつも注文する。

常連になって、覚えられて仲良くなる。

美容室で指名するのも。

あとはこれは悪い例ですが、タバコを吸う

分煙社会で喫煙所はなぞのコミュニティーがあり、

販売スタッフ時代だけ友達ができるメリットで

喫煙者でした。今は全く吸ってません。

SNSを活用してコミュニティーを見つけるのが

一番いいです。

科学的には日光に当たらない館の中でこもりっぱだと

ビタミンDがあーだこーだで、うつになるらしい。

いろいろやってみてダメだったら

思い切って転職しましょう!

休憩時間にスマホ片手に転職活動できる時代です。

 

収入面では

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縫製工場は

高齢化と無理な経営のところが多く

(年金や不動産収入併用、ブラック、研修生問題など)

この先さらに廃業が増えて

正直現業維持しているだけで、

安い工賃仕事を取捨選択する勇気があれば

収入はあがると思っています。

これをやりすぎると、

昔アパレルが工場を潰していった手法と

同じになってしまうので、お互い潰し合って

日本のアパレルが終わってしまいます。

 

じゃあどうするか

長くなるのでビジョンの続きは

また今度

 

マーヤ縫製工場 菅谷 正

 

 

12 12

バランス

雑記

自分のやりたいこととアドバイスのバランス

明日の開発講座発表会を前に

振り返ってみて思ったこと

 

過去の成功体験や経験

自分の価値観の共感

こうしろ!って言われて

成功すれば相手の手柄

失敗すれば自分の責任

 

人の意見を聞きすぎて自分の意志より

相手を優先させてしまったり

 

結局自分は何がしたいのか?

自問自答を資料をまとめながら

繰り返していました。

正解はないし、自分の未熟さも重々承知の上で

まだ成果もなにもない自分への

自信のなさが浮き彫りになった

作品になったなと思います。

先生方が実績ある方たちばかりで

大変勉強になりましたが

それをただ鵜吞みにせず

応用していかなくちゃでした。

 

なので一気にひっくり返して

明日発表はしますが

商品化はせず、説明もとばしで

これからやりたいことを

発表します。

 

言うとおりにすれば

失敗しても相手のせいにできます。

怒られたりせず、一見楽な道ですが、

後々苦労するのは必須です。

 

自分の意志をとおして

失敗すれば笑いものにされたり

だからいったじゃんっていわれるのも必須

何がダメだったか修正して

チャレンジして笑われて

成功できるかはわかりませんが頭で考え

成長は確実にします。

 

周りからのアドバイスも大事です。

ただ正解ではなくヒントとして

聞ければいいかなと思います。

謙虚さのバランスもあるけど

あえてブログでワガママ宣言をして

自分のこれからに期待

 

マーヤ縫製工場 菅谷 正

 

 

 

 

 

TOKYO町工場HUBの古川さんがオススメしていた本

まずTOKYO町工場HUBとは

https://tokyo-fabhub.com/

たぶんご存知ない方がまだ多いと思いますが

これからもっと注目されること必須

先日講演を聞いて感銘をうけたのでご紹介します。

 

TOKYO町工場HUB 代表 古川 拓 さん

”京都大学法学部卒。大学卒業後、大手都市銀行に入行し、東京本部で調査・企画業務を担当したのち、米国に通算10年間駐在、法人取引に従事した。15年間に及ぶ銀行員を勤めた後、2004年に独立。次世代の文字認識技術の研究開発を行うベンチャー企業を皮切りに、国内外のベンチャー企業の立ち上げに関わった。投資ファンドの役員や財団の理事なども兼任、教育事業立ち上げにバングラデシュで5年間過ごすなど、途上国での社会起業にも力を注いできた。20175月にTOKYO町工場HUBの事業を立ち上げ、現在に至る。2009年より東京大学大学院新領域創成学科の非常勤講師を委嘱され、「持続可能な社会のためのビジネスとファイナンス」を大学院の留学生に教えている。"

 

足立区・葛飾区を中心に下町の工場をプロデュースしています。

足立区のイベントには度々参加されて、以前から飲み会での交流は

ありましたが、講演内容がとにかく素晴らしかった。

おそらく最近なんとなくみんな日常生活で感じている

時代の変化、海外情勢

多くの情報量を持つことは未来を予想するヒントになります。

 

講演内容を丸々ここで多く語ることはしませんが

1つそのなかから

自分の体験談をかいつまんで書きます。

まずおすすめされた本が

タイトル画像にある「ファンベース」の本

これを聞いて即買う僕や

そこのあなた!

まさにその行動がそうで

僕は古川さんが紹介しているから買おうとしました。

このショボいブログをいつもみてくださる

そこのあなたも僕が紹介したから買おうとしたか

興味がでたかと。。

 

お客様という不特定多数の定義が

もっとコアなファン、常連さんになり

僕の体験談でいうと

マーヤではファクトリエさんでブラウスを販売させてもらっていますが

そこの店舗の常連さんの白鳥さん

とは先月普通に北千住で仕事関係なく飲み行ったり、

昨日は野村さんと錦糸町で飲んだり、

ただ洋服が好きなサラリーマンの方ですが

お客様という肩書きはなく→白鳥さん、野村さん といった感じで

男性の方なのでマーヤの服着れないですし

ただマーヤのファンとして

生産者と消費者がつながり

マーヤのことを周りの人達に紹介してくださいます。

昨日の様子は

こんなかんじでフェイスブックに投稿していただきました。

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 (野村さんのFacebook投稿より)

お願いしたわけでもないですし、僕もそんな

策略で飲みに行ったりしているわけではなく

楽しいからなので、腹黒いヤツではないです(笑)

 

たぶんこんなかんじの内容が本に書いてある気がします。

まだ読んでません。(笑)

年末年始じっくり読みます。

 

年末年始の休みと品質責任者のページを更新しました。

古川さんから聞いた話はかいつまんで

自分の体験談と交えてまた今度書きます。

 

マーヤ縫製工場 菅谷 正

 

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